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【アラベスク】  第2章 真紅の若葉



第2節 丘の上の貴公子 [15]




 つ………
 疲れたぁぁぁぁ〜っ!
 美鶴は、バッタリとその身をベットに投げ、深く嘆息した。
 本当に長く、そして疲れる一日であった。時計を見るとまだ夜の九時。だが、もう部屋から出てなにかしようとは思わない。そもそも部屋を出たところで、この広い豪邸のどこに自分の居場所があるというのか?
 母は当然帰ってきていないので、夕食は霞流と二人。
 霞流が気を使ってくれたのか、それとも夕食は祖父とは別で取ることにしているのか? どちらにしろ、あの広い食堂で一人夕食を取る羽目にならなかったことに、心底ホッとした。
 世話をしてくれる使用人の存在はありがたいが、慣れない美鶴にはむしろ監視されているような気がして落ち着かない。
 夕食の後には小部屋でテレビを見ながら、少しの談笑。そこには木崎も加わって、テレビを見ながらエレガントなひととき。
 ……これを、セレブって言うのかなぁ?
 部屋を貸してもらって食事の世話してもらって、制服も教科書も用意してもらって、そのうえ髪まで切ってもらって……
 ベッドの上でモソりと身を動かしながら、もう一度息を吐く。
 開け広げたクローゼットには、真新しい制服。結局、制服まで霞流の好意に甘えてしまった。
 既製品の一着だけでも十分なのだが
「っんしても、聡のヤツっ!」
 瞳を閉じ、眉を寄せて舌を打つ。

「もうちっと、短い方が可愛いんじゃねーの?」
 用意された制服に袖を通し、鏡の前で確認する美鶴の後ろから、ヒョイっと顔を出す。
「アンタ、アホ?」
「なんだよ、アホって」
 ムッとしたように口を尖らせる。
「これでも十分短い」
「そうかぁ?」
 膝丈のスカート裾から伸びる足を見下ろし、腕を組む。
「俺はもうちょっと短い方がいいと思うな。その方が足が長く見えるぜ。短いヤツって、結構いるしよ。ウチの学校って、ホント自由な校風だよなぁ。もっとガチガチの黴臭い学校だと思ってたのによ」
 唐渓は一般の高校にくらべて、意外に自由な校風だ。髪を染めている生徒もいるし、薄っすらと化粧をしている生徒もいる。ピアスやアクセサリーも禁止されてはいない。
 化粧などは、母親が率先して教えている家庭もあるくらいだ。
 品良く身を整えるのが、女性としての、いや上流階級の人間としての(たしな)みなのだとか…
 だが、彼らは自覚している。教師や保護者が眉をひそめるような行動を取ってはいけない、というコトを……
 大人たちが求める行動。それは、校則で縛られなくても一般常識というものを理解した学生生活。お洒落や自由を求めつつも、彼らが認める許容範囲を超えてはいけない。
 常に大人に好印象を与える振る舞いを、彼らはすでに熟知している。

 なんというしたたかな生徒たち―――

 だが、そんな彼らの中にも、陰でハメを外す存在がある。そう、例えば覚せい剤などに手を出すとか―――
「バカだ」
「あ?」
 本当に聞こえなかったのか、怪訝そうに首を傾げる聡へチロリと視線を送る。
「スカートの丈にいちいち気を使うなんて、バカげていると言ってるの」
「もったいねーじゃん。けっこう綺麗なのによぉ」
「何が?」
「足」
 思わずクルリと振り返る。
「スケベ」
「あんだよっ! ホントのコトじゃんかよっ」
 憤慨して顔を突き出す。美鶴も負けじと腕を組む。
「褒めてんだぞ」
「褒められたくない」
「可愛くねーなー」
「それで結構」
「おめぇなーっ!」
 間も置かず言い争う二人の間に、呆れたような山脇が割ってはいる。
「いい加減にしたら?」
 だが、それが思わぬ方向へ。
「お前はどう思うんだよ?」
 いきなり話を振られ、山脇の視線は思わず美鶴の膝から(ふくら)(はぎ)へ。
 一瞬で目をそらすが、その動きを聡も美鶴も見逃すワケがない。美鶴は思わず両手で膝を隠す。
「どうなんだよ?」
 答えを強いる聡に、美鶴は口を歪める。
「どっちだっていいでしょうっ」
「お前にゃ 聞いてない」
「私の制服だっ!」
「………短くてもいいかも」
 美鶴に背を向けボソリと呟く山脇。少し髪のかかる両耳が薄っすらと紅い。
 聡はそらみろと得意気に見下ろし、美鶴は大口を開けたまま言葉も出ない。
「なっ、もうちょっと上げれば?」
「出来るかっ! 明日着てくんだぞっ!」
「裾上げならすぐにできますよ」
 軽く答える女性の声に、美鶴はギリリと唇を噛んだ。
 それで結局、スカート丈は短くなった。

「聡のヤツっ!」
 目の前にはいない相手へ低く(うな)る。
 昔は、あんなヤツじゃなかった。
 少なくとも、美鶴の記憶の中の聡は、女性のスカート丈にあれこれ口出しするような人間ではない。
 同じ小学校に通っていた頃は、同学年の女子児童にもそれなりに人気のある存在だった。だが当の本人にはまったく興味がなかったらしく、特定の相手がいたとかいるとかいった話は聞かなかった。
 誰か異性に想いを寄せているといった話を聞かされたこともないし、転校してからもそのような気配はなかった。
 もし彼女なんかがいたら、自転車を飛ばして美鶴のところにわざわざ来たりなんか、しなかったはずだ。それが………
 足が綺麗…… だとぉぉぉっ!
 美鶴は、投げだした両足を思わず抱え込む。
 好きなんだ
 そんな言葉が、聡の口から出てくる。
 まっすぐに見つめてくる聡。ギュッと瞳を閉じる。頭の中から追い出そうと、必死に首を振る。
 そんなこと、あるワケがない。
 今だに信じられない。

 ―――――信じてはいけない。

 もうちっと、短い方が可愛いんじゃねーの?
 響く声を消そうと、両手で耳を塞ぐ。
 可愛い…… だとぉっ!
 私のどこがっ どこが可愛いって言うんだっ! バカにしやがってっっ!
 怒りに火照る身体を抱えて、そのまましばらく身を硬くした。





 綺麗なのによぉ

 正直、言った本人ですらびっくりしている。
 ゴロンとベッドの上で身を反転させ、聡はぼんやりと天井を見つめた。
 満月に近いが、窓からの月光は弱い。
 部屋は暗い。だが、電気をつけようとは思わない。
 そんな気にはならない。







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